私を責める私
人から責められた時、多くの方は大なり小なり嫌な気持ちになったり、つらい気持ちになったりするでしょう。
また、責められた内容について「ああそうか」と素直に納得して次から気を付けようと思えることもあれば、
「そんなつもりではなかった」とか「そんなことを言われるなんて不当だ」「納得できない」
と思うこともあるでしょう。
例え納得できなくても「次から気を付けよう」あるいは「自分では納得できないけど、考え方の違いだから
気にしないでおこう」などというように自分の中でおさめることができれば、長く後を引くことはあまりありません。
しかし、時々、いつまでもいつまでも責められたことが気になってしまうときがあるかもしれませんね。
それは、なぜでしょう?
その背景にはいろいろな理由が考えられますが、その一つに、実は自分を責めた人と同意見の自分が、あるいは
自分を責めたいもう一人の自分がいて自分自身のことを内側から責めている・・・ということがあったりします。
実は一番つらいのは、そのように自分で自分を責めている時です。
人から責められても、その人から離れれば一旦はそこから逃れることができます。
でも自分が自分を責める時、私たちには逃げ場がありません。
社会一般的にこうした方が良いとされていること、親からこうしなさいと言われてきたこと、
学校で教わってきたことなど、私たちの中にはこれまでの生活の中で学んできた「こうすべきこと」
「こうあるべきこと」がたくさんつまっています。
気にしなくていいと思っているつもりでも「こうすべき」と思っている自分が自分の中のどこかにいると
他の誰かに指摘をされたときにその自分が顔を出すのです。
たとえば「これができていないと責められた」と感じる時、自分自身でも同様に「それができていないと
本当はいけない」「できていない自分はダメだ」と思っているかもしれません。
「こうでないといけない」と責める自分がとても強い時には、たとえば相手にその意図がなかったとしても
ちょっとしたことで「責められている」と感じやすくなります。
あるいは誰にも何も言われなかったとしても、自分の言動をチェックして自分を責めてしまう場合もあるでしょう。
もし、今後誰かに責められているように感じ、それが頭から離れない時があったら「あの人が私を責めた」
ことだけではなく、自分の中にも「私を責める私」がいないかどうか目を向けてみてください。
これは以前の記事の体への気付きの話と同じですが、気付いただけでこんな自分がいたのかと楽になる
場合もあれば、それだけでは不十分なこともあります。けれど、やはりまずは気付くところからです。
もしよかったら試してみてくださいね。