心配とメタ認知 メタ認知療法①
コロナウィルス感染拡大を防止するため、日常生活に様々な制限が加えられるようになって
もう3年目となりました。感染拡大が落ち着かない中で、ロシアによるウクライナ侵攻という
大きなニュースが連日報道されるようになりました。
このような世の中で、心配するなという方が無理な話かもしれませんが、
心配というのはとても辛いものです。
心配事は私たちが起きてから眠りにつくまで四六時中頭の中に付きまとい、
あれが片付いたら今度はこっちと、尽きることが無いように感じます。
さて、最近では「メタ認知」という言葉がよく話題に上がります。
お聞きになったことがある方もおられるかもしれません。
「メタ認知」について、心理療法の世界では「メタ認知療法」というアプローチが
2010年前後から注目されるようになりました。「認知」というのは私たち人間が
普段生活している中で頭の中に浮かぶ様々な考えや考え方で、1日のなかでも膨大な数の
認知が私たちの頭の中に生まれては消えていきます。
「メタ認知」というのは、ちょっとややこしいですが、そういった自分の考えや考え方に
関する考え方、ということになります。
「今はこれを考えないとダメなんだ」「恐れている事態を避けるためには考えなければ
いけない」など、自分が考えること自体について何かしら考えることを言います。
心配している内容それ自体については、それがどんな恐ろしい結末になりそうか、
恐ろしい結末を避けるためにどんな対処をするべきかなどなど、私たちは毎日十分に
考えているでしょう。
ではちょっと視点を変えてみて、そんな風に「心配事を考え続ける」ことの
メリットについて考えてみたことはあるでしょうか?
心配がやめられない私たちは、「心配事を考えていけば何か事態をマシにするような
解決策が出てくるはず」「心配事を考え続けた方が恐れていることを避けられる」といった
信念を心のどこかにもっていると言われています。
そのために何か不安になる度に、まるで当たり前のように心配を始めるのですが、
心配を続けると恐れているようなマイナスな予測ばかりに過剰に意識が向いてしまって、
ネガティブな精神状態がどんどんエスカレートしてしまう悪循環に捉われてしまいます。
これまでに、心配している事柄については、もう十分に考え続け、心配し続けてきたのでは
ないでしょうか。
もしそれで気分が改善されないのであれば、今度は少し視点を変えて、
「こんな風に必ず心配するけど、自分が心配する(という手段をいつも使う)ことの
メリットって何かあるだろうか?」と、自分のメタ認知に焦点を当ててみましょう。