「攻略!きみのストレスを発見せよ!」プレイしてみた
ここ数年のボードゲームブームの中で、心理学、カウンセリングと関連のあるボードゲームが
いくつか発売されるようになりましたが、その中でも「攻略!きみのストレスを発見せよ!」は、
洗足ストレスコーピング・サポートオフィスの室長にして、認知行動療法のスペシャリストである
伊藤絵美先生の監修によるボードゲームです。
「コーピング」というのは「ストレス対処法」のことで、生活していると絶対ある色々なストレスに
対処する方法を、みんなで遊びながら楽しく増やしていきましょうというゲームです
(詳しくはストレス・コーピングのブログへ→)。
一人プレイ用のモードも含めると全部で4種類のゲームで遊ぶことが出来るのですが、
今回は3人で1.「どっちがイヤ?」自分のストレス発見ゲーム と、
3.「さよならストレス!」自分のコーピング発見ゲームを遊んでみました。
カードに描かれたストレス場面は学校のものがほとんどで、小学生~中学生くらいのプレイヤーを
想定しているようです。今回は皆大人でしたので、昔を想像しながら、あるいは大人に
読み替えながらプレイしましたが、楽しくプレイできました。
1.「どっちがイヤ?」自分のストレス発見ゲーム
ランダムで場に出た2枚から3枚のストレス場面(ストレッサーカード)から、親のプレイヤーが、
「より嫌だろうな」と思うものを他のプレイヤーが当てます。
「教室が暑い」と「友達が急に口をきいてくれなくなった」という2つのストレス場面で、
親が選んだ「とてもイヤ」なストレスは「教室が暑い」。理由は「教室が暑いのが本当に苦手だから」。
小学校、中学校はエアコンが無かったとか、最近はどこもエアコンがついているのだろうかとか、
大人がプレイするとかつての小学生時代へと脱線して盛り上がったりもします。
ちなみに友達が口をきいてくれないというのは、別にあまり気にならないとのこと。
「自分だったら絶対にこっちが嫌だな」と思っていても、相手は意外とそうではないということが
あったりして、何が嫌かは人によって違うんだなというのが発見できます。
3.「さよならストレス!」自分のコーピング発見ゲーム
ランダムに場に出た1つのストレス場面に対して、親以外のプレイヤーが、自分の手札として配られた
「コーピングカード」の中から、うまく対処できそうなカードを選んで場に出します。
親は場に出されたコーピングカードの中から、一番役に立ちそうと思ったカードを選びます。
場に出たのは「友達が1時間待っても待ち合わせ場所に来ない」というストレスに対して、
「どうせ来ないから待たずにやりたいことをやる」「来るから大丈夫とのんびり待つ」という
全く違う対処法が出されていました。
「友達に変なあだ名で呼ばれる」というストレスには「直接嫌だからやめてと伝える」
「先生に相談する」という、これもまた対照的な提案が。選ぶのは親の好みですが、
コーピングを出す人に色々プレゼンされると「ああそうかもな。そうしてみようかな」と言う気持ちに
なってくるところが面白い。自分には無いコーピングを、まさに発見している瞬間かもと思ったりしました。
ということで、2つ遊んだ中では、3.が好感触でした。
ストレスがかかった時にみんながどう対処するのか分かる。相手の発想も分かるということで、
コミュニケーションにも、コーピングを増やすのにも使えるという意見です。
良さそうなコーピングを決める前に「どうしてこのコーピングが良いと思うか」というプレゼンを
聞くのが結構楽しいです。
大人としては社会人Ver.があったらもっと盛り上がるのになあ、というのもありました。
皆さんも、自分のコーピングの幅を広げたい時にぜひやってみてください!
Lear More
平野啓一郎『本心』から考える「自分らしさ」~分人主義とカウンセリング~
『本心』の映画化が決定したそうです。
おそらく少し未来の話。主人公は20代後半の男性。ずっと2人で生きてきた唯一の肉親でありながら、
何も理由らしい理由を打ち明けないまま、いわゆる安楽死を選んだ母親。主人公は母親の本心を知ろうと
母の残した遺産を使って、生前の母親そっくりに振舞うことのできるAIを持った母親の姿そのままの
VRアバターを制作します。主人公の持っている生前の母親の情報を取り込んだAIが、さらに母親らしく
振舞うようになるためには「母親」と日常的に会話を重ねながら、「お母さんはそんなこと言わなかったよ」
というフレーズで、より母親らしい反応になるよう微調整を続けていきます。また、生前の母親と
親しかった人とも「会って話をしてもらえれば」より生前の母親に近づくのです。
物語はアバターとして”生き返った”『母親』を様々なきっかけとして、「母の本心は何だったのか」という
ミステリー的な要素と、唯一心から繋がっていると信じていた母親の無言の決断に対する主人公の葛藤
そして成長を通して進んでいきますが、背景として常に存在するのは、人間にとっての「自分らしさ」とは
一体何なのだろうという問いです。
作者の平野啓一郎は、以前から「分人主義」という心の捉え方のモデルを提唱しています。
「個人individual」と対比的に「分人dividual」と表現されるその考え方とは、「自分」というのは接する
他者・場所・時間の数だけ存在するのであって、場面や相手に寄らない一貫した、いわゆる「本当の自分」
などは存在せず、言うなれば場面と相手によって異なる自分それぞれ全てが「自分」なのだという考え方です。
要するに一本芯の通った「真の自分」なんていうものを持っている人はおらず、「自分」というのはもっと多面体、
多層構造ネットワーク的なものだよねということです。
この考え方はカウンセリングや心理療法の基本的な考えと同じです。
カウンセリングで言う「自分と向き合う」というのは、自分の心のどこかにある「本当の自分」を探して
見つけ出せということではありません。むしろ、迷い悩んだり苦しんだり、状況や人によってバラバラな
自分のあり様の一つひとつを否定しないで受け止めるという意味です。そうすることで、その時々で自分が
何を求めているかを捉えられるようになっていきます。
作者との対談で心理療法家の東畑開人(https://k-hirano.com/articles/hirano-tohata1)も言っていますが、
就職活動などでは「自分には何が向いているのか」「自分は何がしたいのか」などを問われ、途方に暮れる
学生が確かにいます。
しかしそのような問いは、そもそも自分の中に存在するものではなく、他者や環境と相互作用する中で、
後からまたはなんとなく立ち現れてくるような類のものかもしれません。けれどそのようにつかみどころの
無さが、まるで「自分が無い」ように感じられ、なおかつそれがとても良くないもののように思われると
答えの無い悩みの中に捉われてしまいます。
その意味で「分人」という考え方は、「自分の中で矛盾しても良い」という答えを提供し、その意味での
「そのままの自分」を受け入れる手助けをしてくれるかもしれません。
Lear More考え方のクセ⑦「公正世界の神話」について
「因果応報」という言葉があります。
人は良い行いをすれば良い報いがあり、反対に悪いことをすれば、かならず悪い報いがあるというものです。
これまで、私たちの身の回りに良いことが起こった時に「あの時の苦労は無駄じゃなかったんだ」と嚙み締め、
憎たらしい人に悪い出来事が降りかかった時に「当然の報いを受けているんだ」と思うことが
ありませんでしたか?
良い出来事や悪い出来事の背景には、必ず納得のいく公平で公正な理由がある。
そんな世界のことを「公正世界」と呼び、世界(人生)というのはそういう風にできているんだと
信じることが「公正世界の信念」です。
「公正世界の信念」は、幼少期の教育の中でさながら「神話」のように、折に触れて大人から伝えられます。
「ちゃんと食べなきゃ大きくならないよ」「良い子にしていたらサンタさんが来てくれるよ」
「頑張ったことは決して無駄にはならないから」など、本質的なメッセージは違えど、いずれも、
自分の行いの結果が、必ず良い未来、悪い未来につながることをどこかで示唆しています。
このような教えは決して悪いわけではなく、子どもが必要な努力や我慢ができるように、
マナーを身につけられるように、人生を自分の力で乗り越えられるようになど、
教育的な意味合いや純粋な願いを前提にして教えられるものです。
しかし、実際の世界(人生)は決して、「公正世界」ではありません。
努力をしても無駄になることもあれば、清く正しく生きても誰にも顧みられないこともあります。
反対にどんなに悪いことをしたとしても、後に至上の幸福を享受することもありえます。
そのようなことが当たり前に起こる、不公平で、理不尽に思える面が多分にある世界です。
自分の身に不幸が訪れた時に、人はその問題を解決し今後の身を守るために、
出来事が起こった「理由(原因)」を考えようとします。
その時、自分の心に現れる「あの時どうしてあんな判断をしてしまったのだろう」
「もっと慎重に行動するべきだった」「あの人の助言を聞いておけばよかった」という自責の念は、
一見すると妥当な反省のように思えるかもしれません。しかし実際には「公正世界の神話」に則った
考えに過ぎない場合もあるのです。
実際には、自分の身に起こってしまった不幸な出来事に、筋の通った理由や原因はなく、
自分の過去の行いとは全く無関係に、その辛い出来事は起こったのかもしれません。
そのように考えることの方が、あるいは恐いと感じるでしょう。
世界が公正でないことを認めることは、世界が実は自分のコントロールの外にあり、
「どうにもできないことがある」ことを認めることになるからです。もしそれを認めたとしても、
出来事が起こってしまった辛さは変わりませんが、少なくとも、これまでのように自分の過去の行いを悔いて、
自分の無能さ、甘さ、弱さなどを責める日々を送り続ける必要は無くなるかもしれません。
参考文献:P.A,リーシック他 2019 トラウマへの認知処理療法 治療者のための包括手引き 創元社
Lear More“怒り”が教えてくれる大切なこと
“怒り”と聞いて、何かいいイメージは思い浮かびますか?
年を重ねるほど、すぐ怒るのはよくないことで、子どもっぽい、格好悪い、もしくは怒りは悪いものと
思っている人は少なくありません。
私たちは、自分の大切なものや考え方が傷つけられたり、奪われたという感覚が大きければ大きいほど、
怒りを感じることがあります。
怒りは出し方によって問題になることがありますが、怒りの感情そのものは自分の大切な一部です。
そして、境界線が脅かされたことに警報を鳴らす機能でもあります。
自分という領域は、こうされたら嬉しい、嫌だといったYes、Noをひとつずつ積み重ね、
徐々に自分と他人を区別する境界線を引きながら、形作られているものでもあります。
もし、誰かが自分の引いた境界線を無断で踏み越えて大切なものを奪っていこうとしたら、
「No」と言って自分を守ることを怒りは教えてくれます。
その怒りを感じないようにしてしまったら、いつも自分の境界線を言葉や行動で他人に侵され、
自分の境界線がどこなのか、何を望んでいるのかを見失ってしまうことがあります。
逆に、怒りが多いとしたら、境界線が曖昧だからかもしれません。
少し長いですが、境界線チェックリストを載せてみました。
<感情の境界>
・相手の感情に引きずられていませんか?
・相手の感情を自分の思うように変えようとしていませんか?
・相手の感情に無理に合わせていませんか?
<身体の境界>
・疲れ切ってしまうほど仕事をしていませんか?
・疲れたら休んでいますか?
・自分の安心できる場所や、休める場所がありますか?
・自分の身体のSOSに耳を傾けていますか?
<責任の境界>
・他人の負うべき責任や仕事まで、引き受けていませんか?
・何もかも自分でやらなくてはいけないと思っていませんか?
・仕事を分担していますか?
<時間の境界>
・時間をどう使うかを、自分で決めていますか?
・自分だけの時間を持っていますか?
・プライベートな時間を楽しんでいますか?
守るのが難しい境界は、ありましたか?このチェックリストは、いくつ当てはまるかというよりも、
気づかないうちに無理をしていないか、自分を追い込んでいないかを考えるきっかけにしてもらえたらと思います。
境界線が脅かされると、知らないうちに相手の問題に巻き込まれたり、自分の問題(意識的・無意識的に)を
みたくないがために、相手の問題にのめり込むことにもなりかねません。
自分を大切にするヒントになれば幸いです。
参考・引用文献
感情の「みかた」~つらい感情も、あなたの「味方」になります~ 堀越 勝著
臨床心理学133 第23巻 第Ⅰ号 怒りとは何か?-攻撃性と向き合う
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